UMINY

4/12/2011

モモ

時間って、

外的要因ではなくて、

自分の「内」にあるものだよ、と、



この、

ちいさな女の子が、

改めて教えてくれました。





人も、動物も、物も、それらを包み込む自然にも、


それらを存在させうる空間があり、


それはつまり、それらを存在せしめる「時間」の入れ物なんだとすれば、



わたしも、


自分が自分として存在している、



「時間」を入れる、器として。




とてつもなくめまぐるしい時間が、


ちょっとスローになったような。



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いつのまにか大きく膨らんでいた、マグノリアのつぼみ。


しばし目が離せなくなって、足がとまった、


今朝のわたしの「時間」






おまけ:だから「モモ」ってなんなのさ?



これさ。




いい本だ。

3/12/2011

今日の「私」より


眠りを破った、1本の電話。




「日本が大変な事になってるよ」




もう、心配で心配で、

眠る事ができませんでした。



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昨日の「私」が感じていた、

「はずかしさ」や「自信のなさ」

なんていう気持ちが、




ぶっ飛んだ。





「失敗」したら怖い、
なんて言っていられないような状況が目の前にあり、



それがいかに「甘え」であるか、


そういう風にああでもない、こうでもない、と考えられる状況にいるということが、

いかに恵まれたものであるのか、


「あたりまえ」にそこに存在するものが、

いかに「貴重」なものであるか、



ひしひしと肌身で感じる。





「不安」でどうしようもない状況は、


「自然」を前にしたら、人間はものすごく無力であり、


「選ぶ」ことができる、ということは、

当たり前のことのようでいて、実は当たり前ではないのだ、

ということを、


目の当たりにさせ、


今、目の前に「ある」、


電気も、ガスも、水も、食料も、地下鉄も、飛行機も、



むしろ、


「特別」なものなのだ、ということを、


否が応にも感じさせる。






被災で亡くられた方々のご冥福を祈るとともに、

被災地の復興が一日も早く進む事を、

そして、

連絡が取れずに不安な日々を送られている方々に、

笑顔が戻りますよう、


心からお祈りいたします。

3.12.2011

umi






3/10/2011

明日の「私」へ



「自分」と、

周囲が見ている「私」の距離が、


離れて行くような気がしています。




自分が自分ではないような気持ち。



できることなら「そこ」に追いつきたいのだけれど、


何が欠けているのかは、十分過ぎるくらいわかっているのだけれど、


「はずかしさ」や「自信のなさ」が、


そうさせてくれない。


「ここ一番」にからっきし弱い、


大事なところで「ヘマ」をする。



どうしよ。

どうするよ!?


「勝負」は明日なんですけど、


寝れないな、今日は。






こんな自分で、いいんでしょうか?





3/02/2011

ないものねだり


今更、

なのはわかっているのですが、

最近、

あんなに逃れたかった状況やら感情やらが、

ものすごくいとおしくなる時があります。



去り行くものへの執着か、

留まるもののエゴか、




状況次第でこんなにも変わってしまう人間の心って、


「?」





でも、それはきっと、

執着でもエゴでもなく、

全く逆の作業、

「受け入れる」ということ、

なのかもしれないな、と。





その時は、ものすごく難しかったことでも、

時間が経つと容易になる、ということがあったりして。


それでもって「時間」がもたらしてくれるものって、

たとえば、


気持ちの「余裕」だったりして。




過去と向き合う事は、

それなりの「覚悟」がいること。



そして、それを「受け入れられる」ということは、

それを何らかの「栄養」として取り入れる事ができる、ということ。



いとおしくなるほどの感情を抱かせる「それ」はきっと、


わたしが今、最も必要としているような、


もう一段階、わたしを上に押し上げてくれるような、


起こるべくして起こったような、


そんなパワーをもった、


可能性の、



「サイン」なのかもしれない。



結論:「ないものねだり」とはあらゆる「可能性」のサイン、である。


おまけ:この方の「可能性」は?



「もうすぐ、ごはんデスカ?」


2/26/2011

2.26.2011


カラダのあちこちにできた空白を埋めたくて、

とにかく色んなものをつめこんで、

ぐつぐつと煮込んでみました。





「はっ」と気が付くと、

ココロやカラダの中にマイナスなものが結構、

増えている気がして、

たまに、プラスな(風味な、雰囲気な)ものを足してあげて、

「中くらい」になったらいいな、

と思っていたりするもので、

2週間に一回くらい、

とっても健康そうなものができあがります。






一見、「気休め」的なこの作業、

でも、

わたしには大切な、

切り替えスイッチ、なのです。


  


         


そういえば、檀ふみさん選考のエッセイ集「バナナは皮を食う」の中の、

平塚らいてう『陰陽の調和』

には、

彼女流の健康法として

「陰性のたべものには、必ず、陽性のたべものを、陽性のたべものには必ず陰性のたべものを配するようお献立を工夫する」

とありますが、

これって、カラダの健康だけではなくって、

ココロにも通じているんだな、と思って、


「ああ、やっぱりバランスが大事なのね」

と、

また違う角度から、

同じことに辿り着いたりして。




「いつも真ん中ってやっぱり難しいわ」

とぶつぶつ言いながら、


人に自分の姿を映してみたり、

そろそろ軌道修正かしら、と思ってみたり、


色々やって、疲れて、楽しんだ末に、

栄養たくさん(らしき)ものができあがると、


「ああ、今、真ん中だ」




バランスをとるのって、

つまり、わかっていてもなかなかできないことというのは、

きっとたくさん回り道をしながら、

ふっと気付いたら「そこ」だった、って、

そのくらいの「いいかげんさ」があってもいいのかな、

と思う今日このごろ。





風邪も回復中ナリ。



1/13/2011

1.13.2011


サムイヨルハ、



ツキガ、アオイ、

オチャガ、オイシイ、

ネコガ、コノウエナク、アタタカイ。


ワルクナイ。






11/22/2010

pumpkin cream puffs


I really wanted to eat cream puffs so bad, so I just baked it.

Yes, my favorite---PUMPKIN!

It came out sooo good :D




pumpkin cream puffs