今更、
なのはわかっているのですが、
最近、
あんなに逃れたかった状況やら感情やらが、
ものすごくいとおしくなる時があります。
去り行くものへの執着か、
留まるもののエゴか、
状況次第でこんなにも変わってしまう人間の心って、
「?」
でも、それはきっと、
執着でもエゴでもなく、
全く逆の作業、
「受け入れる」ということ、
なのかもしれないな、と。
その時は、ものすごく難しかったことでも、
時間が経つと容易になる、ということがあったりして。
それでもって「時間」がもたらしてくれるものって、
たとえば、
気持ちの「余裕」だったりして。
過去と向き合う事は、
それなりの「覚悟」がいること。
そして、それを「受け入れられる」ということは、
それを何らかの「栄養」として取り入れる事ができる、ということ。
いとおしくなるほどの感情を抱かせる「それ」はきっと、
わたしが今、最も必要としているような、
もう一段階、わたしを上に押し上げてくれるような、
起こるべくして起こったような、
そんなパワーをもった、
可能性の、
「サイン」なのかもしれない。
結論:「ないものねだり」とはあらゆる「可能性」のサイン、である。
おまけ:この方の「可能性」は?
「もうすぐ、ごはんデスカ?」
1 comment:
ネコはそういって寝転んだ。缶(完→猫缶)
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