UMINY: カンカンと、

8/11/2009

カンカンと、


音が聞こえてきそうな風景。

またまた、父ブログより写真を拝借。


実家の屋根の修理風景だそうです。

そう、周りに広がるは空ばかり。

本当はこれが見慣れた風景だったはずなのに、

心底驚いてしまうのは、

きっと自分がいろいろ見てきたから。


見たいもの、

見たくないもの。



海が近くて風の強い日は潮が飛んできて、

こういう地方では屋根は錆びやすいのだけれど、

16年経った今、錆はほとんどないそうで。

それが父の生き方にちょっとかぶったりして、

すごいものを家族に見せつけてくれたもんだ、と、

今だから思えたりするわけです。


ここがきっと原点で、

端っこの調整は自分に任されていることを感じずにはいられない。

自分のちょうどいいところ、心地よいところ、

飲み込んで噛み砕いて栄養にできるところ。


揺るぎないものは、いつでも厳然とそこにある。



ありがとうございます。


4 comments:

sachiko said...

それは天窓?とても大きなお家だね、やっぱり湿気とかも違うのかな、海の近くって?うちの実家からは「カビ〜カビ〜、掃除してくれるのを待ってるよ!」なんか期待度が違うんですけど(笑)

mysweetkitchen said...

sachikoはん、

周りに何もないのでねーーーー
そう、海がとても近いのよ、自転車で行けるの。
父は家の職人なので、
少なからず影響受けているんだろうな、と思うのよ。
ここがある限り大丈夫だ、と、
最近ようやく思えたの。
今更ながらありがたいなー。とね。

テツヲ said...

実家っていうのは年年歳歳そのありがたさが身にしみてくるものですね。

家を創る人間のつくった家には、それはそれは色々な想いが込められているのだろうと、写真を見ながら想像します。

知り合いの建築家はいつも家は7割の力でつくると言っていました。残りの3割はそこに住む家族が時を重ねながら完成させていくんだそうです。

mysweetkitchen said...

テツヲさん、

全く本当にその通りで、ようやくありがたさが「身にしみて」います。

よく父に建築現場へ連れられて行った記憶があります。そこがどんな家になるのか、そこにどんな家が建っているのか、わくわくした思い出があります。

父のブログを見ているとそういうちっちゃい思い出がちらほらと飛び出てくるのです。

今感じている気持ちをいつか素直に伝えられたらいいな、と思うのですが、ね。