UMINY: 雨の日の

5/31/2009

雨の日の


散歩もまた一興。

緑の香りが一段と濃く感じられて気持ちがいい。ずんずん歩けます。



でも実はこれが目当てだったりして。

かわいらしい店構えのメキシカンにて、「ふらっと」立ち寄り栄養補給。


メキシコ料理によくのっかっている生野菜(レタスとかキャベツとかラディッシュとか)、なんでこんなにおいしいのでしょう。

いくらでも食べられそうです。

そう言えばわたし、トルティーヤが作れます。メキシコ人直伝。彼女の作るトルティーヤは市販のものとは食感がまるで違ってものすごくおいしいのです。子供たちは彼女の作ったトルティーヤしか食べないそう。ウチでも作ってみたいと思い教えてもらいました。
いつか機会があったらご紹介します。(たぶん)

お店を出ると雨は上がっていました。


腹ごなし散歩はつづくどこまでも



4 comments:

テツヲ said...

実は散歩というのは何かボクの中ではある意味何か神聖(といったら言い過ぎかな)な、すこし不思議な行事です。

日本人は謝るかわりによくスミマセンというけれど、このスミマセンは実は「澄みません」なわけで、つまり自分が澄んでいないことを恥に思った心のあらわれです。

関係あるのかよくわからないけど、ボクにとって散歩は心を澄ませる作業なのです。

そうすると、もしかしたらそのとき自分の心には多くのスミマセンが詰まっているのかなぁ・・・と、アメリカに来てあまり散歩しなくなったのは、心がアメリカナイズして、スミマセンを忘れ始めているのかなぁ・・・と、ふと読みながら考えました。

雑文失礼しました。

sachiko said...

日本にいたときは、車の生活。ほんの少し離れた場所さえ車。だから、こっちにきて、歩くのが面倒だと思った。だけど、今は歩きながら見る光景のおもしろさにはまってる。でも、散歩より、やっぱり食べるのが好き(笑)雨のにおいってあるけど、ノスタルジックでいいよね。忙しいときはまったく思いもしないんだけど、こう、余裕があるときなんか雨のにおいに懐かしさを感じる。
さて、本題。トルティーヤ食べたい!!!

mysweetkitchen said...

テツヲさん、
心を澄ませる作業としての散歩は、テツヲさんにとって「しなくなった」のではなく「しなくてもよくなった」のではないでしょうか。「スミマセン」を他の回路で消化する術を身に付けられたのかなぁ、と、勝手な想像をはたらかせています。
わたしには、体を思いっきり使いながら心の代謝を良くしあげる必要があるようです。
あ、道草して食べた物を消化する、という意味でも(笑)

mysweetkitchen said...

さちこさん、
あなたならどこまでも歩いて行けちゃうような気がする。そして歩きながらいつも何かおもしろいものやすてきなものを発見できる「触覚」を持っていると思う。これからも「おこぼれ」にあずからせてね(笑)
本題のトルティーヤ、いつでも食べに来て。連絡くれたら仕込んでおきます。