UMINY

8/22/2009

世界の、



始まりと終わり。


カオスより生じ、カオスに帰する。

その「あいだ」にあるものって、

何でしょうか?


考え中。


8/13/2009

おめかし

手のひらサイズの帽子をいただいたので、


ちょっとおめかし。









まずはこのひと、しのびちゃん。





数分間の格闘の末、ようやくかぶってもらいました(むりやりのせました)

帽子は毛だらけ。

とっても嫌そうだけれど、でも似合ってる。

サイズもちょうどよい感じ。












お次はねこさん。




さすが、哀愁がただよっています。でも、ちょっと小さい・・・ 








やっぱり、かぶりきれていませんでした(浮いてた)



次は誰かさんみたいに手ぬぐいを巻いてみようかな。



ひとりごと:しのびがわたしのベーコンを盗みました。むりやり帽子をかぶせた仕返しでしょうか・・・
    

8/11/2009

カンカンと、


音が聞こえてきそうな風景。

またまた、父ブログより写真を拝借。


実家の屋根の修理風景だそうです。

そう、周りに広がるは空ばかり。

本当はこれが見慣れた風景だったはずなのに、

心底驚いてしまうのは、

きっと自分がいろいろ見てきたから。


見たいもの、

見たくないもの。



海が近くて風の強い日は潮が飛んできて、

こういう地方では屋根は錆びやすいのだけれど、

16年経った今、錆はほとんどないそうで。

それが父の生き方にちょっとかぶったりして、

すごいものを家族に見せつけてくれたもんだ、と、

今だから思えたりするわけです。


ここがきっと原点で、

端っこの調整は自分に任されていることを感じずにはいられない。

自分のちょうどいいところ、心地よいところ、

飲み込んで噛み砕いて栄養にできるところ。


揺るぎないものは、いつでも厳然とそこにある。



ありがとうございます。


8/08/2009

ざりがに


「買いに行こう」といえば、それはウチでは「ガンボ(Gumbo)」の日。

Gumbo (wikipediaより)


読むと必ずお腹が空く本、石井好子さんの「東京の空の下 オムレツのにおいは流れる」の中にも、ニューオーリンズへの旅のくだりでクレオール料理が登場します。


ある日、彼がインターネットでレシピをひろっておもむろに作り出したごはんが、本の中の「それ」と知った時は、それはもう嬉しくて興奮しっぱなし。

それ以来、ウチではなにかにつけてガンボを作ります。

記念日、母の日、大切な人たちへのおもてなし・・・

次は何かな?


ヒトリゴト:ニューオーリンズ、いつか行きたい。


7/10/2009

こんな一日


限られた時間、

わたしは、「そこ」に「間に合って」いるのかと、

ふと、考えてしまいました。


何かがそこにあるのなら、

やっぱりそこに間に合いたいと、

この頭と、心と、体は、

思っているのではないかと、

粉をこねこね捏ねながら思った、

今日の午後。




おまけ:しのびとFerris



どうやらFerrisの捕獲には間に合ったようすのしのびさん。


7/02/2009

青いちから


父のブログより写真を一枚、拝借。

こことは違う、どこか遠くの自然。

そこは確かに存在するのだと、

こうして知ることができただけで、

ちょっと嬉しくなるのです。



ありがとうございます。


6/30/2009

決めどころ


夢ばかりでは危険だし、現実的すぎても面白くない。

楽観的すぎても足下をすくわれるし、否定的すぎてもまた然り。

おもて(陽)が輝いていられるのは、おかげさまで影(陰)のおかげで、

そこに苦しみがあるからこそ、幸せと思える。


中庸


自分の中にある、その両端と両端。ちゃんと今どこにあるか知るということ。

きっと毎日、端っこは変化する。

バランスをとる。

できるだけ、柔らかく。


いつだって、自分の中に答えはあるのだ、と、

自分を深く見つめていくと、

そこは他人とつながっている。

まさに、鏡のように。



人は、大なり小なりの、たんこぶを心に抱えて生きていて、

その自らの癒しのために、生きる知恵を身につけていくのかもしれない。

そして、その、自分のための癒しはきっと、

知らず知らずのうちに、

しかし確実に、

他人の癒しにもつながっていく。

時に、

芸術が人の心を打つように、

心のこもった料理が人を感動させるように、

そして、笑顔が笑顔を呼ぶように。


自分と深く関わる、覚悟がようやくできた、かも。