UMINY: 03/2011

3/12/2011

今日の「私」より


眠りを破った、1本の電話。




「日本が大変な事になってるよ」




もう、心配で心配で、

眠る事ができませんでした。



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昨日の「私」が感じていた、

「はずかしさ」や「自信のなさ」

なんていう気持ちが、




ぶっ飛んだ。





「失敗」したら怖い、
なんて言っていられないような状況が目の前にあり、



それがいかに「甘え」であるか、


そういう風にああでもない、こうでもない、と考えられる状況にいるということが、

いかに恵まれたものであるのか、


「あたりまえ」にそこに存在するものが、

いかに「貴重」なものであるか、



ひしひしと肌身で感じる。





「不安」でどうしようもない状況は、


「自然」を前にしたら、人間はものすごく無力であり、


「選ぶ」ことができる、ということは、

当たり前のことのようでいて、実は当たり前ではないのだ、

ということを、


目の当たりにさせ、


今、目の前に「ある」、


電気も、ガスも、水も、食料も、地下鉄も、飛行機も、



むしろ、


「特別」なものなのだ、ということを、


否が応にも感じさせる。






被災で亡くられた方々のご冥福を祈るとともに、

被災地の復興が一日も早く進む事を、

そして、

連絡が取れずに不安な日々を送られている方々に、

笑顔が戻りますよう、


心からお祈りいたします。

3.12.2011

umi






3/10/2011

明日の「私」へ



「自分」と、

周囲が見ている「私」の距離が、


離れて行くような気がしています。




自分が自分ではないような気持ち。



できることなら「そこ」に追いつきたいのだけれど、


何が欠けているのかは、十分過ぎるくらいわかっているのだけれど、


「はずかしさ」や「自信のなさ」が、


そうさせてくれない。


「ここ一番」にからっきし弱い、


大事なところで「ヘマ」をする。



どうしよ。

どうするよ!?


「勝負」は明日なんですけど、


寝れないな、今日は。






こんな自分で、いいんでしょうか?





3/02/2011

ないものねだり


今更、

なのはわかっているのですが、

最近、

あんなに逃れたかった状況やら感情やらが、

ものすごくいとおしくなる時があります。



去り行くものへの執着か、

留まるもののエゴか、




状況次第でこんなにも変わってしまう人間の心って、


「?」





でも、それはきっと、

執着でもエゴでもなく、

全く逆の作業、

「受け入れる」ということ、

なのかもしれないな、と。





その時は、ものすごく難しかったことでも、

時間が経つと容易になる、ということがあったりして。


それでもって「時間」がもたらしてくれるものって、

たとえば、


気持ちの「余裕」だったりして。




過去と向き合う事は、

それなりの「覚悟」がいること。



そして、それを「受け入れられる」ということは、

それを何らかの「栄養」として取り入れる事ができる、ということ。



いとおしくなるほどの感情を抱かせる「それ」はきっと、


わたしが今、最も必要としているような、


もう一段階、わたしを上に押し上げてくれるような、


起こるべくして起こったような、


そんなパワーをもった、


可能性の、



「サイン」なのかもしれない。



結論:「ないものねだり」とはあらゆる「可能性」のサイン、である。


おまけ:この方の「可能性」は?



「もうすぐ、ごはんデスカ?」